チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

「ブログ写真に窮す」のつづき


昨日は私の本棚のマルクス経済学の本をお見せしたので、
それに至る経緯を生い立ちからお話しようと思う。


それは小学校の図書室に行った時、ソ連の計画経済を賛美する本が置いて在った。
子供心に社会主義は素晴らしいと思った。
後で知ったのだが、私の青少年期には共産党の教員が多く居られた様だ。
同窓会の時に同級生から聞いた。
成る程と思う先生も居れば、エッ、まさかあの先生が!と言う先生も居られた。
そして、小学校では3年間担任をして貰った恩師が居られる。
その先生は国語と体育が専門で、体育の模範演技を見て憧れの存在だった。
そして、今で言う軽い体罰をされた。
例えば雑談してる生徒が居ると、いきなり振り向いてチョークを投げられた。
私はとても可愛がって貰い、2年の時は肩車をして廊下を歩いて貰った記憶が有る。
2年と5年と6年を担任して貰った。
その先生は共産党員では無く、後に校長に成られたが、
同窓会の時に教員組合の幹部に成った同級生と激しく口論されたらしい。


私の父は戦前は警察官で厳格な人だった。
戦時中は憲兵に成った。
警官は憲兵に成るらしい。
母は尋常小学校で優等生だった。
尋常中学校に入って、金持ちの子に一番を譲る様に先生に言われたといつも母から聞かされた。
小学校の恩師から聞いた話だが、私の両親は教育熱心だったらしい。
私は5年か6年の時、近所の有名な英会話塾に通わされた。
その塾は有名な小学校や私の学校の学級委員長が通う塾で、一躍私は劣等生に成った。
私も委員長の端くれだったのだが…。
大人になって分かったが其処に通ってた者は京大などによく進学して居る。


そして、中学校では新聞部に入った。
小学校の壁新聞のイメージが有ったので入った。
同級生の部長は利発な女の子で、俯いた時に襟元から小さく尖ったものが見えた。
私が覚えてるのはそれだけで、私がロリコンに成った伏線が其処に有るのかも知れない。
いや、実は浪人の頃、小学生の時に友達だった人と偶々道で出会い、
以後よく家に遊びに行く様に成った其の彼がロリコンで、彼から洗礼を受けた。
彼のお母さんは創価学会でよくお経を唱えて居た。
家は貧しかった。
後に、私は学会の集会にも彼に連れられて行った事が有る。
皆良い人達ばかりだった。
唯、幹部は胡散臭かった。


話は高校時代に戻るが、背の低い私は身長を伸ばしたいと思ってバレー部に入った。
入って見ると、皆背の高い人達ばかりで、しかも中学からやってる人ばかり。
其処に青白くてひ弱な私は完全に場違いだったが、幼い私は敢えて空気を読まなかった。
そのバレー部は少数精鋭で、私の3年先輩は全国3位と言う名門だったが、
私の同級生は受験勉強の為、皆途中で止めて行ったが、
私は精神的に幼かったので、止めると言う視野を持って居なかった。
それで3年生で1人に成って、補欠からいきなりキャプテン。
右も左も分からぬまま顧問の言いなり。
唯、OBの先輩が毎日指導に来てくれて居た。
彼の弟は例の全国大会3位のエースで、当時ナンバーワンアタッカーと言われたらしい。
そのお兄さんのお陰で、大学に入っても私のレシーブは抜きん出て居た。
背が低かったので、今ならリベロと言うポジションでもっと活躍出来たろうに…。
ついでに言うと、私は府庁に入って10年目に本庁勤めと成ったが、
本庁のコートで練習して居る府庁バレー部に入った。
府庁バレー部はローテーションの有る6人制の試合と、
ローテーションの無い9人制の試合に参加して居たが、
9人制の試合ではいきなり中衛のセンターに。
府庁バレー部は言わばおっさんのクラブだが、
府庁職員の中では事バレーに関してはトップクラス。
まあ、兎に角、高校時代は倒れるまで練習した。
風邪で授業は休んでも練習には行った。
私は保守的な人間だった。


2年浪人して同志社大学に合格した。
就職口が良いと言う経済学部に入り、近代経済学を選択した。
マルクス経済学は古いと言うイメージが有った。
ところが、近経(近代経済学)の数量経済学などが無味乾燥だったので、
2年からはマル経(マルクス経済学)に変更した。
そのゼミの先生が共産党だった。
アジア経済論で、主に中国。
生徒を中国の農業・工業・商業経済、その他アジア国の経済のグループに分けさせた。
私は中国の農業経済を選び、其のグループは4人居たが、発表は殆どいつも私がした。
今から思うと近経の国際金融論などをもっとやって置けばと思って居る。


オマケ


ところで、今日、いつもコメントを貰う「Bな日常」のかりびーさんのブログで、
テレビ東京の報道スタッフさんのYOUTUBEを見た。



かなりリアルに参考に成るもので、私はタイに住んでるから条件は違うものの、
これからは一層気を引き締めようと思い、
近所の喫茶店でのタイ語の勉強を止めようと思う。
と言うのも今日は2人連れのギャル2組が来たが、1組目が来て間も無く2組目が来た時、

最初に来た2人連れが直ぐ外の椅子に出た。
クーラーの無い外にである。
私も直ぐに退散すればいいものを閉店時間まで居た。
後で来た2人連れが最後まで居たと言うのに…。
今と成っては早く出なかった事をとても後悔して居る。
感染して居なければいいのだが…。
でも私も来て間無かったので殆ど進んで無かったのだ。
何とか14個は覚えようと必死だった。



2021.5.17喫茶店-1

2021.5.17喫茶店-2


さて、今夜のメニューはチキンラーメン。
引き籠りには持って来いのメニュー。
此れが最後のチキンラーメンだった。
汁を最後まで啜りたかったが我慢した。
何しろ免疫力を保持しなければ成らなかった。