チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

残された人生をどう生きるか(4)


もう日本は桜が咲き始め、タイは夏真っ盛り。
涼しい喫茶店に居るとタイの暑さから守られる。
パナマに駐在して居た友人の「ドア・ツー・ドアで暑く無い」と言ってた言葉を思い出す。
彼は退職後、日本で暮らし、私はタイで暮らす。
あゝ、桜が見たい。
メロンスムージーを飲んで慰める。
少ない年金で日本で暮らすとしたら、それは物価が安い事が条件。
日本は此処30年、物価上昇が少ないが、それでもタイより高い。
労働者は賃金が上がらなくて大変だが、年金生活者は逆。
もっと物価が下がる方が嬉しい。
いや、それにしても政府の施策は酷い。
日本が衰退して行く。
賃金も上げて、年金も上げる方法は無いのか。
少子化が問題だ。
担ぐ人が少なく成る。
やはり産業を発展させなければ。
外国資本の収奪を止めなければ。
グローバリズムとの対決。
一体、どの勢力が対決してくれるのだ。
共産党はグローバリズムの認識が無かった。
反米・反独占と言って居た。
新しい理論が必要だ。
寧ろ保守論者が反グローバリズムを唱えて居る。
一方、共産党はアイヌ民族を守れと言って、日本民族を分断して居る。
かつての部落解放同盟と同じ構図だ。
其処に中国利権が絡む。
アイヌ地域だと言って中国人が入り込む。
訳の分からない状態に成って居る。
行政は手が付けられ無い。
無法地帯が広がって行く。
同和政策が必要なのに分断政策に道庁は手を貸して居る。
ロシアも自国に居るアイヌ人と連携すると言って侵略を狙って居る。
お人好しな日本人。
これがグローバリストの目論見だ。
EUがグローバリズムの最たるもの。
移民で溢れて居る。
何れ日本も…。
タイも中国の影響が強いので危うい。
軍事政権の影響もまだ残って居る。
完全には民政化して居ない。
中国は南下政策を虎視眈々と狙って居る。
まあ、私が生きてる内はどうと言う事は無いだろうが…。
それにしても共産党はオカシイ。
原発反対を唱えれば、ウィグルの強制労働で作られた太陽光パネルを推進する事に成るのでは。
風力発電も問題だらけ。
対案を示さずして反対するのは無責任。
共産主義に於ける経済原理も示せて居ない。
原発を稼働しなければ技術者も居なく成って廃炉も出来なく成る。
融合炉が実現するまでは、テロ対策上も小型化して地下に設置すべき。
地球温暖化も嘘がバレて来たので、気候変動と言い換えて居る。


直ぐ政治的な話に成るが、これから私がタイで生きて行く上で気に成るのが日本の政治。
嘘の政治を暴く為には皆が正しいと思う事をSNSで発信しなければ。
間違ったSNSも有るが、年寄りも含めて皆が発信出来る様に成れば、自然淘汰されるのでは。
一方、タイの暮らしは穏やかで、健康だけ気を付けて居れば良い。



ところで車のエアコン修理が23、000バーツ(≒92、000円)も掛った。
まあ、新車を買うより安いから我慢、我慢。



今日の朝食


さて、今夜は冷奴。
いつも美味しい料理をありがとう。

残された人生をどう生きるか(3)


何だか左翼から保守へ自分が変わる言い訳を此処で書く事に成る様なので、それは本意では無い。
それは自分の中で結論を得れば良い話。
此処では単に自分の過去の変遷を書く事にしよう。


その前に一つだけ年寄りの自慢話をして置きたい。
今の共産党の衆議院の国対委員長の話。
以前、京都の北地区委員会で赤旗の仕分けをして居た時、当時、京都市会議員だった彼が北地区だった。
私の地元は左京区下鴨で、地元の集会で彼と会った。
弁士で来た彼は「何だ、此処が君の地元だったのか」と。
私は府庁の党委員会に属して居たので、彼は私の出身を知らなかった。
それ以降、北野天満宮の初詣街宣で彼が演説してる時、母と初詣に行けば彼と挨拶を交わす様に成った。
もう1人。
参議院の国対委員長の話。
私が職場の党会議の席に情勢の話の講師として京都市議を呼んだら、当時参議員だった彼を連れて来た。
何で来たのかと尋ねると、府庁党員の会議を一度見学して見たいと言う事だった。
へえ~、国会議員が一府庁党員の会議を参考にしたいのかと驚いた。
実際、大して参考には成らなかっただろう。
皆びっくりして恐縮してしまって何も話さなかった。
私も焦った。
彼の秘書には私もよく知ってる地区の青年部長が成った。


さて、自慢話にも成らないが、私が渡タイしたいと思った内の一つに退職後は党活動を辞めたいと思ったからだ。
退職後はゆっくりしたいと思った。
だが、中々抜けさせて貰えなかった。
1年の半分は日本に居ないと言ったのに…。
離党届は受理され無かったので、最後は一方的に脱退した。
党活動と言うものは自分の利益は一旦棚上げにしてと言うものだ。
私は現役時代に十分活動したと思って居た。
もう此れで十分だと思って居た。
そして渡タイしてゆとりが出来たと思ったら日本人会の役員に成って居た。
母が亡くなり、時間が出来て本やYOUTUBEを見る様に成って、段々と違う考えが芽生えて来た。
一つには党の哲学者だった古在由重も晩年離党したのが私には大きかった。
また昔、地域の集会で党の経済学者が隣に座ったので、共産主義に於ける市場経済の在り方は如何と聞いた時、明確な返事が無かった。
今、党に大したレベルの哲学者や経済学者が居るとは思えない。
唯物論の優れた一面は有るが、完全では無い。
寧ろ観念論哲学者と言われて居る人に多くの優れた人が居る様に思われる。
マルクスが「共産党宣言」を出した時、植民地政策が多くの国で取られて居たのに、「万国の労働者団結せよ」では無く、「万国の被植民地国民立ち上がれ」で無ければ成らなかったのでは。
寧ろ植民地政策から目を逸らす事に成ったのでは。
当時はイギリスでさえ労働者階級より農民の方が圧倒的に多かった。
被植民地国民を立ち上がらせたのは列強と対立した日本では無かったのか。
詰まり保守論者が言う日本は侵略国家では無いと言うのも一理有る。
まあ、石油を求めて南下したが、満州は攻めなくても…。
酷い軍閥の支配から庶民を解放したのだと言う人も居る。
それに石油だけが日本の生きる道とも言い難い。
まあ、空論かも知れないが…。
今、保守党の飯山あかりが盛んに言ってるのは、「日本人は勤勉だ。其処に活路が有る」と。
何れにしても、私が生きてる内は自民党に日本を壊されたくは無い。
移民政策やLGBTで日本が滅茶苦茶に成っても、年金だけは残して欲しい。
ロシアを利する「アイヌ民族を守れ」だとか、「(中国製の)太陽光パネルを推進しろ」だとか、共産党も滅茶苦茶。


やっぱり今日も言い訳に成った。
自己正当化が人間の本質だから仕方が無い。



今日も日中は33度。
もう、すっかり真夏。
喫茶店の隣の空き地に砂塵が舞った。
タイらしい風だ。
ふと、タイに居る事の是非を考えてしまう。
これで良かったのかと。


今日の朝食


さて、今夜は天ぷら素麺。
いつも美味しい料理をありがとう。

残された人生をどう生きるか(2)


晩年、思想が大きく変わる切っ掛けに成ったのは、一つには山本太郎の存在。
最初の彼は切り口が斬新で、消費税の主張も共産党より明確だった。
共産党は立民と共闘する為、5パーセントと言う政治的妥協をして居た。
そして、山本が都知事選に出た時、宇都宮弁護士の方を支援した。
以前は鳥越俊太郎を支持して宇都宮を取り止めさせたのに…。
何かがオカシイと思った。
案の定、大敗した。
唯、山本太郎もメッキが剥げて来て、パフォーマンス男だとハッキリする様に…。
そんな折、高市早苗の総裁選の出馬会見を見た。
理路整然として、淀みが無い。
今まで彼女に対する思いは「電波停止」発言の印象が強く、極右の様に思われた。
それが色んなYOUTUBEを見る様に成って、私の思想も変化して居た。
詰まりGHQの教育政策に依って、歪んだ教育を施されて来たのだと。
小学校の図書室にはソ連の本が置いて在った。
教員も党員が多かった。
そして今や学会は党の支配が強い。
そして大事な軍事機密が中国の方に流れて居る。
共産党は中国は大国主義だと言いながら、尖閣の事を言わない。
それどころか在日外国人を守れと言って居る。
安い労働力確保の移民政策が間違って居るのに…。
今に日本は破滅する。
土地も外国の買い放題。
憲法も国会を通したから日本が作ったのだと党から聞かされて来た。
しかし、前文を読めば変な訳文に成って居る。
最近の判決もオカシイ。
同性婚を認めないのは憲法違反だと。
憲法には両性の合意と書いて有る。
唯、外国人に生活保護はオカシイと言う保守論者が居るが、妻の友人のタイ人奥さんで、私が生活保護を勧めた人が居る。
旦那がタイで暮らし、母子の生活費をケチるので離婚をして生活保護の道を勧めた。
日本に旦那が帰った時はろくな生活費を渡さないので喧嘩ばかりだと。
3人の子を抱えて大変だった。
受給後は教育扶助も支給されたので生活は一変した。
私が保証人に成り、地区の赤旗(生活)相談所員に区役所と折衝する様に依頼した。
唯、子供が二十歳に成れば奥さんのビザは無く成る。
厳しい話だ。


今私が信奉して居る保守論者が国粋主義者かどうかは予断を許さない。
参政党も最近はオカシイ。
神谷党首の独裁では無いのかと。
ついでに言えば、日本保守党も親しみは持てるが、党規約に代表の選出方法が書かれて居ない。
しかし、東京15区の飯山あかりは応援したい。
其処に参戦した参政党ははなはだ疑問だ。
票が割れる。
利するのは小池。


どうも、これからどう生きるかと言う話よりも政治の話に成ってしまった。
どうしても私に取っては自分が共産党員で在った事の総括をしないでは居られ無い。



今日もダルい体を押して喫茶店に。
最近、鉄分不足なのかヘモグロビンの働きが悪く、血中酸素が少ないのでしんどい。
喉が渇いて水分を大量に摂取するからだろう。
鉄分の錠剤を日に3度飲んでるが追い付かない。
若しかしたら亜鉛不足かも。
梅干しも頑張って食べて居るのだが…。
冷やした麦茶が旨くて止められない。
トイレが近くて困るのだが…。


今日の朝食


さて、今夜はハンバーグ。
いつも美味しい料理をありがとう。

残された人生をどう生きるか

いよいよ自叙伝も書く事が無く成ったので他の事を書くとしたら残された人生をどう生きるかと言う事。
唯、もう今更気楽に生きたいと思うのだが、どうしても捨て切れないのが自分が共産党員であったと言う事。
それが果たしてどう言う意味が有ったのかがどうしても気に成る。
個人的には色んな経験が出来て良かったと言う面は有るが、果たして社会的にどうだったのか。
勿論、党員の時は世の為、人の為と思って一生懸命だったのだが、晩年、疑問が生じた。
退職して時間の余裕が出来て、今までをゆっくり振り返る事が出来た。
党員の時は常に突撃ラッパで思考停止して居たのかも知れない。
それで今まで読まなかった立花隆の「日本共産党の研究」を読んで見た。
他にも色んなYOUTUBEを見る様に成って、段々と違う考えが芽生えて来た。
いや、疑問は前から有った。
例えば野坂参三と言う議長までした人が晩年スパイと言う事で追放された。
勿論、今まで委員長経験者も何人も追放されて居る。
こう言う組織の性質上、こう言う事は避けられないものだと思って居たが、例えば不破委員長も書記局長に抜擢される前は宮本委員長に批判され、自分の著書を自己批判させられてから登用された。
今、共産党で随一の理論家と言われて居る不破さんが自説を曲げたと言う事が腑に落ちない。
そんなに優れた理論家なら宮本委員長の方が間違って居たのではないか。
宮本委員長は決して優れた理論家と言うよりも、獄中で節を曲げなかったと言う点で尊敬された。
今から思うと本当に獄中でどれほど頑張ったのかは疑問が残る。
例えば最後まで抵抗を貫いた小林多喜二は惨殺されて居る。
因みに、不破さんが批判された著書は後で副委員長と成った不破さんのお兄さんの上田耕一郎との共著だった。
そして、前委員長の志位さんも東大の学生の運動を分派活動として処分してから宮本委員長に抜擢された。
今、正に分派活動が全国的に生じる前触れの様な気もする。
宮本委員長も国際派と言う小派閥に属して居た。
若し分派活動がご法度なら、宮本委員長の今日は無いのでは無いか。
情勢の変化を理由にするなら分派活動の是非も変化するのか。
一方では戦前の党が幼稚で戦後の党が本物と言う考え方も有る。
詰まり宮本委員長の元で大きく成ったと言う考え方も出来る。
しかし個人云々で論じるのは観念論的で、唯物論としては社会情勢が其れをもたらしたと考えるべき。
そして今また党は衰退の一途。
現に党員も赤旗読者も減って居る。
まあ、今と成っては分からない事だらけだから、それを持ってどうこう言う積りは無い。
少なくとも疑問だらけと言う事だ。
唯、今と成っては今更色んな書物を紐解いて調べ直す気力も時間も無い。
従って自分が納得出来る主張を探して自己満足するしか無い。
所詮、年寄りの世迷言の範疇を出ない。
それでも此れに結論を得ずして安眠は出来ないから暫く此れに取り掛かる事にする。



クーラーに当たってベッドでゴロンとして居たら安楽だ。
動きたくも無い。
それでもブログを書く為に喫茶店へと向かうのは何故か。
ブログを書いて得られる機能快楽か。
創作意欲か。
ブログ順位を下げたく無いと言う自尊心からなのか。
何もしない老人には成りたく無いと言う焦りなのか。
若しかしたらメロンスムージーを飲んで、生きてる事を実感したいのかも知れない。
いや多分、毎日喫茶店で戯れて、充実した人生を過ごして居ると錯覚したいだけだろう。



一つ忘れて居た。
唯一の常連客の私が行かなければ潰れてしまうのではと言う懸念。
いや、潰れないまでもおばさんが可哀そう。
昨日も私が行くのが遅かったせいか、客席で寝て居た。


今日の朝食


さて、今夜は肉ジャガ。
いつも美味しい料理をありがとう。

追記(その8)(自叙伝補足)ー父のことー


父の思い出は高3の時に亡くなったので母ほどは多く無い。
誇りに思えるのは正義感が強く、人に優しいと言う事だった。
だから保険の外交員のおばちゃん達に人気が有った様だ。
掛け捨てで無い保険も自分が始めたと自慢して居た。
共栄火災海上保険。
今は何処も掛け捨てでは無いだろう。
警官・軍人だった事も在ってか、厳しい人だった。
唯、私は甘やかされて育った。
動物園で抱っこされてる写真がいつも目に浮かぶ。
そして心筋梗塞で悩んだ父の事も…。
退職真近に成って仮免許の最中に心臓発作で倒れた。
指導員の話では急に持たれ掛って来たと。
救急病院に運ばれた時は亡くなって居たと。
近所だったので母と行った時は霊安室だった。
母は振り向いて私にすがった。
私は高3ながらこれからは自分がしっかりしなければと思った。
父と母と3人で映画館や芝居を見に行った事が有る。
確か小学生の頃だった様に思う。
それから7人家族だったので、皆で姉が勤めて居た三菱銀行の箱根の温泉宿に行った。
「仙石山荘」だ。
赤絨毯の玄関が何故か懐かしい。
これが7人で行く最後だと言って居た。
それで姉が結婚し、兄が結婚し、下の姉が結婚し、祖母が亡くなり、3人に成った。
高校生の頃は何か父が疎ましく、苦手だった。
だから食事の時も何処か落ち着かなかった。
中学生の頃、何か空虚で自殺願望の様な気持に成った。
そんな時、父は近所の家を買いたいと言って図面を見せた。
それで何故か自殺願望が無く成って居た。
そうそう、子供の時、家のお風呂に入って熱い湯に入って10数えなさいとよく言われた。
熱い湯が苦手だった。
木の風呂で蒔きで燃やして居た。
借家だったが広い土間が有った。
結婚して一度訪ねたが辿り着け無かった。
男山八幡宮の麓の家だった。
今、父のアルバムを見返して見ると、父の会社時代の写真がいっぱい有る。
一体どんな人生だったんだろう。
時間が有ればこれから見返して想像して見たい。



夕食に食べ残した下ろし蕎麦を夜中に食べたので朝食を食べるのが遅く成った。
喫茶店に着いたのは夕方4時。
家ではブログを書く気がしないからだ。
メロンスムージーを飲むとシャンとした。
ミキサーの性能が違うのか、家のミキサーでは喫茶店の様に氷が細かく成らない。
家でもスムージーが食べたいが、ミキサーを買い換えてくれとは言えない。
若し家で出来るなら氷水スムージーでも良いのだが…。
急いでメロンスムージーを掻き込んだら頭が痛く成った。
もう、外は真夏だ。


今日の朝食


さて、今夜は鯖缶煮。
タイの缶詰なのでちょっぴり辛い。