チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

兄のこと(2)

兄は最初、家で果物屋をやって居たが、店の棚にフルーツ缶とかミックス缶が美味しそうに並んで居たのを、子供心に覚えて居る。
住宅街に果物屋と言うのは、今考えると違和感が有るが、近辺に市場は無く、いっその事、魚屋とか野菜店にしたら、もっと儲かったのでは無いかと思うが、それこそ仕入れが大変だったろう。
青年には果物屋位が丁度良かったのだろう。
兄が果物屋をやるのを父が許したのは、やはり、商売の難しさを経験させる為だったんだろう。
その後、父の勤めて居る会社に入るのだが、そこで兄は、組合活動に熱心だった様だ。
それが、何年か後、昇進もして、何時の間にか保守政党の応援をする様になり、
随分180度の転換だなあと思って居たが、
選挙の敗北の責任を取らされたのかどうかは分からないが、
途中で会社を辞めて、京都市の隣の宇治市でスナックをやり始めた。
素人なので、客の相手も苦労したと思う。
いつの間にかアル中になって居た。
私は後年、保健所に勤めた時、障害者担当になって、断酒会なる存在も知ったが、
若し兄がそう言う会を知って居れば、食堂癌にもならずに、
また違った人生が在ったのでは無いかと思うと、口惜しい限りだ。
兄は若い頃から、歌が上手かった。
或る結婚式の披露宴で、兄が民謡の貝殻節を素で歌って、会場はやんやの拍手だったが、
後年、私もまた友人の披露宴で貝殻節を素で歌った。
やはり遺伝して居るのだろうか。
この歌を歌う時は、いつも兄の事を思い出す。




ヒーリング


蝉の声は雑音だと以前聞いた記憶が有る。
私も長い間そう思って居た。
タイに来てから、何時だったか、夜になると毎日やかましい位の蝉の声がして居た時が在った。
今は何故かしない。
そして、最近、蝉の声が妙に恋しい。
日本の夏の蝉の声がとても懐かしい。
タイのあの蝉の様な声は、本当には蝉の声では無いと思うのだが…。
そんな時、YouTubeで探す事を思い付いた。
私のブログにナイスを押して下さる方の中には、日々の苦痛から逃れたいと思われて居る方が居られる。
人によって好みも違うし、自分でも探されて居るとは思うのだが、

そして、YouTubeが癒しになるかどうかも分からないのだが、
取り合えず私の好みのものをお届したいと思います。




<癒し★自然音> ヒグラシ・ツクツクボウシの鳴き声 夏の終わりが近づく森(安らぎ・リラックス・リフレッシュ・ストレス解消)

《癒しの自然音》 ヒグラシ の鳴き声 日暮れ時の森林 (リフレッシュ・ストレス解消・リラックス・安らぎ)

ミンミンゼミの鳴き声60min/Summer Nature Sound in Japan/

《癒しの自然音》セミ の鳴き声 真夏の森林(リフレッシュ・ストレス解消・リラックス・安らぎ)

《癒しの自然音》 森林編 野鳥の鳴き声 小鳥 たちで賑やかな森 (リフレッシュ・ストレス解消・リラックス・安らぎ)



オカリナ奏者 宗次郎 / コンドルは飛んでいく Sojiro_El Condor Pasa

Himekami 姬神 1984年 (まほろば)全辑 full album

Ken Muramatsu - Green Shower

喜多郎 (シルクロード) 絲綢之路





兄のこと

小さい頃の記憶に、電車のホームで、兄に隠れられて泣きそうになった事とか、歌声喫茶に連れて行って貰った事とかが有る。
兄は大変歌が上手かった。
大きくなってからも、例えば、結婚式の披露宴で、兄が素で歌うと、皆がやんやと褒めて居た記憶が有る。
兄は大学にも行かず、その頃は未だ余り皆が大学に行く時代では無かったが、早くから働いた。
最初は家で果物屋をやった。
京都の中央卸し売り市場まで、朝早く行って仕入れて居たと後で聞かされた。
車も無かったから、リヤカーで6キロも毎朝往復して居たんだろうか。
商売の難しさを経験した様だ。
その後、父の勤めて居る火災保険会社に入った。
そこでも、学歴の有る他の人達との競争に苦労して居た様に、子供心に記憶して居る。
そして、何年も経って、営業支店の支店長になったりして、優秀な人材だとの評価を得て居たと思う。
晩年になって、何故か選挙の応援をする様になり、敗北の責任を取らされたのか、或いは進んでなのかは分からないが、途中で会社を辞めて、地方都市でスナックをやり始めた。
素人なので、相当苦労したと思う。
客の相手もした。
いつか歯の治療をした時、そこからばい菌が入り、酒の相手もかなりしたせいで、食堂癌になった。
そこからは坂道を転がり落ちる様に、死へと向かって行った。
酒の相手もかなりしたせいで、アル中にもなって居た。
未だ元気だった頃、私の結婚式に父親代わりに挨拶をしてくれたが、ビックリするほどスピーチが上手く、流石会社で一目を置かれて居た
だけのことはあると感心したものだ。
実は、兄のことは煙たかった。
もっと自分を頼って来いと言う気持ちが、返って私の気持ちを遠ざけてしまった。
余り近づかないので、怒ったりした。
今から思うと、全て私の若気の至りだったと思う。
もっと兄になついて、頼れば良かった。


兄の遺影を見る度に、申し訳無いと言う気持ちと共に、

幼い頃の兄の記憶が懐かしく蘇える。



父と母と三人で謡曲の練習





仔犬のアルバム

2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。


生後1カ月経ちました。


『ママとお遊び』


「手を噛まないで!」


「はい」


「おぎゃあ!?」


「もう一回」


「お預け」


「イヒヒ」


「おねだり」


「何だ?」


「どれどれ」


「降りられるかな?」


「降りました!」


「ヨイしょっと!」


「えヘヘ」


「見てる?」


「ああ疲れた」


「やれやれ」




今年のソンクラン(其の4)

昨日も在住の友人からプールのお誘いが有った。
一人で水掛け合戦には行き辛いので、渡りに船だった。
曇空だったが、一昨日よりは若干陽も照ったりしたので、多少の日光浴感は有った。
昨日も貸し切り状態だった。
唯、殆ど曇空だったので、上がると寒いので、殆ど水の中に浸かって居た。


家に帰る途中も、行く途中も殆ど人影を見ないので、
皆お寺に行ってるのかとも思ったが、若者の姿も無いので、
これは若しかしたら、軍の命令で水掛けが中止になったのかと思われる位の静けさだった。
それで、ちょっと心配になって、いつものホコテンに行って見たら、
そこだけは、いつものソンクランだった。
若者の狂乱に私の心も騒いだが、何分独りなので、どうする事も出来無かった。
それで、一生懸命写真を撮って居ると、何か足元がチロチロと冷たかったので、
回りを見回すと、誰も知りませんよという感じだったが、
これは恐らく悪戯好きのせいだと分かったので、
すごすごと退散した。
このままでは何れ大きな雨が降って来ると思った。
遠くからでもよく飛ぶ水鉄砲で、いきなり撃って来る。
未だホコテンに近づいても居ないのに一発やられたのだ。


車に戻ると、遠くで祭り太鼓の様に聞こえるソンクランの音に、

後ろ髪を惹かれる思いで、
歳老いた老人はその場を後にした。
そして、今年のソンクランの幕は終わった。