チェンライの日々

タイ(チェンライ)在住9年です。日々の暮らしを綴ります。

チェンマイ領事館

今日は隣県のチェンマイ領事館に行って来た。
パスポートの切り替えと、ビザ更新の為に必要な年金額証明を貰う為だ。
パスポートの切り替えは直ぐには出来無いので、後日、また行かなければならない。
まあ、10年に一度の事だから止むを得ない。
それより4,910バーツ(約16,200円)と言うのは、結構高い。
日本では幾らだったのか忘れてしまったが、何分タイの安い物価に慣れて居るので、ビックリしてしまう。
何しろ4,910バーツと言えば、タイ人の安い給料の人の月給位だ。
まだ年金額証明の640バーツ(約2,100円)なら納得出来る。
これで1年間のビザの資料になるからだ。
通常1年間のビザ取得の為には、80万バーツ(約264万円)、若しくは、タイ人の配偶者が居れば、その半額が預金されて居れば承認される。
そして、それは年金額でも良い。
私は妻がタイ人だから、40万バーツ(約132万円)の年金が有れば良い。
つまり、預金ゼロでもOKだ。
証明の為の預金は、使う事が出来無いのだ。
レートが良ければ、年金だけでも80万バーツ以上になるので、配偶者ビザで無く、普通のビザでも承認されるのだが、為替変動でビザの種類を毎年変える事になれば、入国管理事務所での手続きが大変面倒になる。
一度、レートが良い時に、年金だけで80万バーツ以上になったので、配偶者ビザから普通のビザに変えてくれと言ったら、入管の人が大層困った顔をして、配偶者ビザを止める理由が要るから、例えば離婚をすれば良いとか言って居た。
まあ、君子危うきに近寄らずで、そのままにして居る。


途中に在る白い寺(ワットロンクン)


国道1号線沿いに有るコンビニは、ソンクランのUターン客で溢れている。


途中で給ガスしたスタンド。愛車はガソリンとプロパンのハイブリット?
チェンマイに往復で270バーツ(約900円)


チェンマイのBig-C


新しく出来たセントラルデパート。やはりチェンマイのはデカい。



仔犬のアルバム

2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。


生後1カ月経ちました。


『ソンポーンとソムラック』


「何か無いかな?」


「つまんねぇ」


「あれっ!」


「こっちか!」


「何だ」


「俺はこれ!」


「カジカジ…」


「ペッ、不味い!」


「何だコリャ」


「何?」


「あっち行こ!」


「おしまい。」




兄のこと(2)

兄は最初、家で果物屋をやって居たが、店の棚にフルーツ缶とかミックス缶が美味しそうに並んで居たのを、子供心に覚えて居る。
住宅街に果物屋と言うのは、今考えると違和感が有るが、近辺に市場は無く、いっその事、魚屋とか野菜店にしたら、もっと儲かったのでは無いかと思うが、それこそ仕入れが大変だったろう。
青年には果物屋位が丁度良かったのだろう。
兄が果物屋をやるのを父が許したのは、やはり、商売の難しさを経験させる為だったんだろう。
その後、父の勤めて居る会社に入るのだが、そこで兄は、組合活動に熱心だった様だ。
それが、何年か後、昇進もして、何時の間にか保守政党の応援をする様になり、
随分180度の転換だなあと思って居たが、
選挙の敗北の責任を取らされたのかどうかは分からないが、
途中で会社を辞めて、京都市の隣の宇治市でスナックをやり始めた。
素人なので、客の相手も苦労したと思う。
いつの間にかアル中になって居た。
私は後年、保健所に勤めた時、障害者担当になって、断酒会なる存在も知ったが、
若し兄がそう言う会を知って居れば、食堂癌にもならずに、
また違った人生が在ったのでは無いかと思うと、口惜しい限りだ。
兄は若い頃から、歌が上手かった。
或る結婚式の披露宴で、兄が民謡の貝殻節を素で歌って、会場はやんやの拍手だったが、
後年、私もまた友人の披露宴で貝殻節を素で歌った。
やはり遺伝して居るのだろうか。
この歌を歌う時は、いつも兄の事を思い出す。




ヒーリング


蝉の声は雑音だと以前聞いた記憶が有る。
私も長い間そう思って居た。
タイに来てから、何時だったか、夜になると毎日やかましい位の蝉の声がして居た時が在った。
今は何故かしない。
そして、最近、蝉の声が妙に恋しい。
日本の夏の蝉の声がとても懐かしい。
タイのあの蝉の様な声は、本当には蝉の声では無いと思うのだが…。
そんな時、YouTubeで探す事を思い付いた。
私のブログにナイスを押して下さる方の中には、日々の苦痛から逃れたいと思われて居る方が居られる。
人によって好みも違うし、自分でも探されて居るとは思うのだが、

そして、YouTubeが癒しになるかどうかも分からないのだが、
取り合えず私の好みのものをお届したいと思います。




<癒し★自然音> ヒグラシ・ツクツクボウシの鳴き声 夏の終わりが近づく森(安らぎ・リラックス・リフレッシュ・ストレス解消)

《癒しの自然音》 ヒグラシ の鳴き声 日暮れ時の森林 (リフレッシュ・ストレス解消・リラックス・安らぎ)

ミンミンゼミの鳴き声60min/Summer Nature Sound in Japan/

《癒しの自然音》セミ の鳴き声 真夏の森林(リフレッシュ・ストレス解消・リラックス・安らぎ)

《癒しの自然音》 森林編 野鳥の鳴き声 小鳥 たちで賑やかな森 (リフレッシュ・ストレス解消・リラックス・安らぎ)



オカリナ奏者 宗次郎 / コンドルは飛んでいく Sojiro_El Condor Pasa

Himekami 姬神 1984年 (まほろば)全辑 full album

Ken Muramatsu - Green Shower

喜多郎 (シルクロード) 絲綢之路





兄のこと

小さい頃の記憶に、電車のホームで、兄に隠れられて泣きそうになった事とか、歌声喫茶に連れて行って貰った事とかが有る。
兄は大変歌が上手かった。
大きくなってからも、例えば、結婚式の披露宴で、兄が素で歌うと、皆がやんやと褒めて居た記憶が有る。
兄は大学にも行かず、その頃は未だ余り皆が大学に行く時代では無かったが、早くから働いた。
最初は家で果物屋をやった。
京都の中央卸し売り市場まで、朝早く行って仕入れて居たと後で聞かされた。
車も無かったから、リヤカーで6キロも毎朝往復して居たんだろうか。
商売の難しさを経験した様だ。
その後、父の勤めて居る火災保険会社に入った。
そこでも、学歴の有る他の人達との競争に苦労して居た様に、子供心に記憶して居る。
そして、何年も経って、営業支店の支店長になったりして、優秀な人材だとの評価を得て居たと思う。
晩年になって、何故か選挙の応援をする様になり、敗北の責任を取らされたのか、或いは進んでなのかは分からないが、途中で会社を辞めて、地方都市でスナックをやり始めた。
素人なので、相当苦労したと思う。
客の相手もした。
いつか歯の治療をした時、そこからばい菌が入り、酒の相手もかなりしたせいで、食堂癌になった。
そこからは坂道を転がり落ちる様に、死へと向かって行った。
酒の相手もかなりしたせいで、アル中にもなって居た。
未だ元気だった頃、私の結婚式に父親代わりに挨拶をしてくれたが、ビックリするほどスピーチが上手く、流石会社で一目を置かれて居た
だけのことはあると感心したものだ。
実は、兄のことは煙たかった。
もっと自分を頼って来いと言う気持ちが、返って私の気持ちを遠ざけてしまった。
余り近づかないので、怒ったりした。
今から思うと、全て私の若気の至りだったと思う。
もっと兄になついて、頼れば良かった。


兄の遺影を見る度に、申し訳無いと言う気持ちと共に、

幼い頃の兄の記憶が懐かしく蘇える。



父と母と三人で謡曲の練習