チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

私のお酒事情

炭水化物ダイエットがいいと勧められて、米は朝だけにして、
昼と夜は米の代わりにアルコールを飲むようにして居たが、
余り効果が無いと分かってからも、相変わらずそう言う食事を続けて居る。
2016年の5月末からだから、もう丸2年になる。
余り効果が無いと分かって居ても、余り止める気がしない。
まさかアルコール中毒になって居る訳では無いと思うが。
だって、昼も夜もコップに一杯しか飲んでない。


それで、以前はビールとウイスキーを交互に飲んで居たが、
最近どう言う訳か、ウイスキーばかり飲みたくなる。


コップに氷を一杯入れて、ウイスキー半分、トニックウォーター半分で混ぜる。
そして、こぶみかんを絞る。
これが実に旨いのだ。


こぶみかんは日本には無い。
以前は、すだちの様なものか、レモンを絞って居たのだが、
或る時、市場で目にした珍しいものを絞って見たら、とても旨かった。
名前も知らなかったが、後でネットで見たらこぶみかんらしい。
その葉はトムヤムクンと言うスープなどに使う事も分かった。
それで、日本では輸入した葉っぱだけ売って居る。


すだちやレモンより芳醇な香りで、値段はすだちと同じ位。
レモンより遥かに安い。
旬のものなので、旬の時期に一杯買って、アイストレーで氷にして置いて、
飲む時に1個入れてかき混ぜる。


ウイスキーはシーバス・リーガルに近い味わいの、
ハイ・コミッショナーと言う、同じイギリスのスコッチが、
ビルマの国境の町タチレクに売って居て、
2リットルが500バーツ(約1,650円)と、滅茶苦茶安い。


唯、ビルマへの入国税が500バーツ掛かるので、
妻に行って貰ったり、女中さんの里帰りの時などに買って来て貰う。
タイ人の入国税は安いのだ。


ところで、タイ政府は、アルコール類のインターネットでの拡散を禁じたらしい。
この写真も逮捕の対象になるかも知れないが、
まあ、日本のブログサービスの接続だから、
ダイレクトには対象にならないと、高を括って居るのだが、
何でもタイの女優がインスタグラムに投稿して、逮捕されたらしい。


私は、法律の宣伝の為の警察のやらせではないかと思って居るのだが、
まあ、私も、むけむけのラベルをアップする時は一抹の不安が有る。


手前左から、アサヒ、トニックウォーター、ハイネケン、バドワイザー、酒蔵割烹酒、鬼ごろし、
ハイ・コミッショナー、ビルマのウイスキー金ラベル、同青ラベル。


今日の朝食 雑煮とカレー鯖


今日の昼食 グリーンカレー


今日の夕食 パプリカの肉詰め



ビザ更新の報告

昨日はビザ更新の為、チェンライの入国管理事務所(イミグレ)に行って来た。

先月25日にビザの更新に行ったら、

取り敢えず1カ月分の滞在延長許可が下りたのだ。
それで昨日は残りの11カ月分が貰えた。
配偶者ビザの権限はチェンマイに有るので、

審査期間中の1カ月分の許可だったのだ。
無事削られる事無く、残りの11カ月分が貰えたのでホッとした。


それで、今迄ちゃんと削られる事無く1年分が貰えて居るのか、確認して見た。
2017年は、5月11日に行って、結局2018年の4月30日までとなった。
これはパスポートの有効期限が4月30日までだったから仕方が無い。
その前の2016年は、4月19日に行って、

結局2017年の6月2日までとなって居る。
なんか少し得した様な感じだ。


その前は、2015年の5月27日に行って、

2016年の6月2日までとなって居る。
何だ、結局更新の手続きに行った日が早いか遅いかだけで、

6月の2日が期限の起点になって居る事に変わりは無いのだ。


つまり、これからは、手続きに行く日が早かろうが遅かろうが、
4月の30日が期限の起点になると言う事だ。


ところで、相変わらず昨日もイミグレは大入り満員だった。
昨日は只スタンプを貰うだけだからとゆっくりして居たのだが、
若しかしたら、受付番号の札を貰え無い事も有り得ると、
途中で気が変わって、慌てて行ったのだが、9時過ぎに着いて、
無事番号札を貰った。
どうせ直ぐには見て貰え無いだろうと、私は車で待って居た。
妻の話では、30人位の席が満席だったと。
それで57番の番号札を貰って来た。
窓口の兄ちゃんは、「まだまだ」と言って居たとの事。


そこで家に帰って食事をして、ゆっくり出直すと、
順番の案内が58になって居た。
しまったと思って妻に聞くと、「パスポートをカウンターに置いておけ」と
お兄ちゃんが言って居たとの事。


時々カウンターの上を眺めて居ると、58?の人が終わったら、
お兄ちゃんはサッとパスポートを取って処理してくれて居る様だった。
58?の人が終わったので、近くに59番らしき人が、
次は自分と立ち上がってお兄ちゃんの方を見て居る。


暫くしてお兄ちゃんが、59番と言う表示をしたので、
立ち上がって居た人はやれやれと言う表情で窓口に行った。
私はどうなるのだろうと思って居ると、お兄ちゃんから呼ばれたので、
安堵して受け取りに行った。
そしたら、妻に「ちょっと問題が」とか何とか言いながら渡してくれたので、
ちょっと心配になったのだが、別段何の問題も無く、
ちゃんと2019年の4月30日までとなって居た。
それで彼女には何も聞かずに、胸を撫で下して帰宅した。


イミグレで待って居る間、回りを見ても日本人らしき人は無く、
殆ど西洋人らしき顔の人ばかりだった。
やはり以前チェンマイから引っ越して来た人が言って居た様に、
チェンマイのイミグレは「新規の人は受付無い」状態のせいで、
チェンライに流れて来て居るのではないかと思った。


今日の朝食 餅と海苔茶漬け


今日の昼食 天ぷらと素麺



姉のこと

カレー鯖は昔食べた事を思い出し、妻に頼んだものだが、
何処で食べたのだろうか。
母はそう言う料理はしない人だった。
薄味の京料理。
父が血圧が高かったので、塩分控え目だった。


下の姉の家によく遊びに行ったが、姉は手作りの餃子とか、
焼き肉とか、若者の料理が多かった。
多分姉の家で食べたのではないだろうか。


姉の家は京都市内の太秦と言う所に有って、学生時代によく遊びに行った。
幼い姪や甥を遊んでやるのが楽しかった。
行ったらとても喜んでくれたのだ。


義兄にも車をよく貸して貰った。
三菱のギャランGTO。
今は無きスポーツタイプのヒップアップクーペだ。
これで大学に乗り付けると、注目の的となり、女の子を乗せてドライブもした。


夜明けの高速道路を走って居る時、
免許取りたての私に運転を代われと義兄に言われ、
ハンドルを切り損ねてガードレールに当たり、逆さになって止まった事が有る。
車は大破し、修理不能になった。
私は外付けのカーステレオでかすり傷で済んだが、

もう二度と運転はしまいと思った。
半年位して、また運転する様になって居た。
よく死ななかったものだ。


普段は食べられ無い焼き肉などの料理を、姉の家で食べるのも嬉しかった。
母は古風な料理が多く、麺類も作った事が無かった。


兄や上の姉とは年も離れて居たので、
小さい頃は、唯一、下の姉とは兄弟喧嘩が出来る年齢差だった。
7歳離れて居た。
ちゃん付けで呼んで居たが、姉はそれが気に入らなかった様だ。
上の姉だけ「お姉ちゃん」と呼んで居た。


姉の家族が東京に転勤してからは会えなくなった。
今は大分のくじゅう連山の麓に住んで居る。
義兄が病気の姉の為に、炭酸泉がいいだろうと言う事で、

引っ越して行ったのだ。
京都からは遠かった。


今、帰国しても、会う事は中々容易では無い。
もう一人の姉は、兵庫県に居る。
皆、散り散りばらばらになってしまった。



そもそも結婚とは(つづき)


前回、そもそも結婚とは、いや、夫婦とは何だろうか
と言う事について、社会学的に考えて来ましたが、
今回は、心の問題として考えて見たいと思います。


キリスト教では、誓いや契約と言う言葉で表されて居ますが、
そもそも一緒に居たいと言う願望は、異性としての魅力とか、
人間的な魅力とか人様々でしょう。


唯、異性としての魅力は歳と共に衰えるのでないでしょうか。
人間的な魅力も継続されて居ればいいのですが、
若し、それも無くなった場合、愛着は無くなるのでしょうか。


長年連れ添った夫婦と言うものは、色々な経験を共有し、
代え難い思い出が蓄積されて居るのではないでしょうか。


そして、異性としての魅力が無くなった時こそ、
本当の夫婦の関係になるのではないでしょうか。


それは、母の様でもあり、友達の様でもあり、
そこからが本当の家族として、かけがえのない人に
なるのではないでしょうか。


その時点でそう言う愛着が有れば、強い絆で結ばれた夫婦として
共に暮らして行けるのではと思います。


その時点では、もう経済的な関係云々も、
関係無いのではと思います。


ちなみに私の場合には、代え難い思い出が蓄積されて居り、
母の様に甘えたくもあり、友達の様に大切なパートナーとして、
共に支え合って生きて行ければと思って居ます。



今日の朝食 サンドイッチ


今日の昼食 天ぷらと素麺



真夜中の映画鑑賞

LION/ライオン~25年目のただいま~

今迄インドの映画を馬鹿にして居た。
しかし、とても感動する映画だった。


WOWOWシネマの録画を深夜1時から3時に見た。


5歳の男の子が駅のホームで迷子になって、
1,600キロ離れたカルカッタの救護施設に暫く居たが、
オーストラリア人の夫婦の養子として、オーストラリアに連れて行かれ、
幸福な日々を過ごして居たが、30歳の或る日、幼時の思い出に目覚め、
故郷の生地をGoogleアースで遂に探し出し、生母や妹と再会を果たすが、
兄は既に、はぐれた直後に列車事故で死亡した事を知る。
しかし、生母や妹と再会を果たし、空白の過去を取り戻した事を、育ての親に報告。
生母は育ての親に感謝し、育ての親も心から祝福すると言う実話を元にした物語。


演技も良かったが、インドでは毎年行方不明になる子が8万人も居ると言う現実も
突き詰められる問題作であった。