チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

何不自由無い年金生活(其の5)

老後の安寧な暮らしの条件として、最後にもう一つ挙げたい。
それは、誰に囲まれて死ぬか、いや、誰に囲まれて暮らすかと言う事。
私は、妻に看取られて死にたい。
妻に先立たれるなんて事は考えたくも無い。
歳のせいか、昔の事をよく思い出す。
日本に居た頃の事。
日曜日は、妻とよく遊びに行った。
初めて妻が来日した時、車で空港に迎えに行った時の事も、まるで、ついこの間の事のように、鮮明に覚えて居る。
でも、これが、もし、妻に先立たれたら、その思い出は、涙と共に思い出すしか無い。
生きて居てくれたら、懐かしい思い出として、思い出す事が出来る。
この先、どんな不幸が待ち受けて居ようが、妻さえ生きて居てくれたら、私の老後の暮らしは安寧に満ちて居る。
妻は、子宮癌で子供が産めなくなったが、私はそんな事はどうでもいい。
妻は若しかしたら、子供が欲しかったのかも知れないが、私は妻さえ生きて居てくれたら、それ以上何も望まない。
妻が傍に居てくれるだけで、私の老後の人生は、とても幸せだ。


私は妻と共に、青春を生きたのだ。
それを思うだけで、幸せだ。