チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

日本の思い出(5月の嵐山)

以前は年に一度は帰国して居た。
殆どが常宿の嵐山のマンスリーだった。
桜を見る為4月に帰国するのが常だったが、その年は5月に帰国した。
日本に住んで居る時、5月のツツジは、長岡京市の長岡天神のツツジを、しばしば見に行くことはあったが、嵐山に行くことは無かった。
嵐山は、あくまで、桜ともみじの名所と言う認識だった。
それで、常宿の嵐山に帰国して、川のほとりを散策して見ると、見事なツツジに驚いた。
天竜寺のツツジも中々見事だった。
5月の嵐山も中々悪く無いと思った。
帰国時は、母の車椅子を押して、マンスリーの近辺を散策するのが常だった。
車の余り通らない細い道を散策するのが、静かで空気も良くてとても気持ちの良いものだった。
夜は一人で散策した。
近くにスーパー銭湯の「天山の湯」が在り、夜遅くに行っても安心して入って居られる事をとても嬉しく思ったものだ。
下鴨に住んで居た頃は、夕方行って急いで帰ったのだ。
温泉からマンションに戻り、付近を風呂上りの散歩中、見上げると月が見えた。
朧月だった。
一週間前までその月をチェンライで見て居た事を思い、何か淋しいような、嵐山に居るのが不思議なような気がしたのだ。
それは、下鴨の家を処分し、嵐山のマンスリーマンションに来て、あたりの散策を兼ねての散歩だった。


認知症の母にストレスを与えないように、嵐山には温泉に入りに来たのだと説明をした。
母は今まで住んで居た下鴨の家を引越したくはないはずだからだ。
でも、何日かするとその家のことも忘れてしまって居た。
下鴨地域内で一度引越しをしたが、母が覚えているのは、長年住んだ前の家だった。
その家は引越してから10年経っているというのに…。
10年前に引越したんだといくら話をしても、翌日には忘れて居た。
前の家は隣人が私達に断りもなく地主から土地を買い、
挙句の果てには出て行けと嫌がらせを言うようになり、
結婚を期に二世帯用住宅としてその家に引越したんだといくら話をしても…。