チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

日本人の特性

母が生前の頃、姉夫婦がタイに訪ねて来てくれた。
その時の日記を読んで、当時を振り返りたいと思います。


(2010.1.14 3:52) 日記より
日本から姉夫婦がやって来た。
姉は5年ぶり二度目の海外旅行で、しかもタイは初めて。
遠いところから遥々母と私達に会いに来てくれた。
航空券の手配やバンコクでの乗り継ぎに迷わないように、
持病のある姉のために、タイ航空に車いすの手配も頼んで置いた。
お陰で、チェンライまで迷うことなく着き、空港には車で迎えに行った。
食事も妻の日本料理で、殆ど日本と同様の食生活で過ごせた。
観光も殆ど車で案内した。
しかし、私がカバー出来ない部分、例えば僅かの外食の機会や、
運転手を雇ってのチェンマイ観光などでは、たちどころにカルチャーショックを受けた。
辛い料理、揺れる車、ナイトバザールでの買い物の値切り。
私が渡タイし始めた頃の観光旅行者としてのカルチャーショックと同じ様子がうかがえた。
でも、私は一人旅で、しかも誰の助力も無く、全く孤独な旅であったのに比べ、
随分お膳立てされた観光旅行であったのにも関わらず、
私よりずっと大きなカルチャーショックを受けたようだった。
それは私が一人旅ということで、
その分海外旅行に対する覚悟が出来ていたからではないかと思われる。
姉達は慣れない観光旅行にも関わらず、
ナイトバザールでは日本語で買い物の値切りに必死になっていた。
また、ちょっとでも辛い料理には不快感を露わにし、
ことあるごとに、日本と違っている点に不満を漏らした。
カラオケで気に入った日本の曲が無いとぼろくそに言い、
揺れる車には二度と乗らないとぐちをこぼした。
いちいちもっともなのだが、いや、気持ちはわかるが、
タイの文化を学ぼうという気持ちが無かったのが残念だ。
タイの、しかもチェンライという田舎町に日本語のカラオケがあること自体…。
考えて見ると、日本の田舎町でタイ語のカラオケが果たしてあるだろうか。
あったとして、タイ人が自分の気に入った曲が無いからといってぼろくそに言うだろうか。
そこには経済大国日本人のおごりが見えてしまう。
めずらしい物品や食材に対しては興味津津で、
これは綺麗、これは旨いなど、好奇心は旺盛であったにも関わらず、
根本のところで、タイ文化を受け入れようという姿勢が感じられなかった。
初めてのタイ旅行だから止むを得ないのは当然だが、
私がお膳立てし過ぎたのが逆効果だったのかも知れない。
過保護にし過ぎたのが良くなかったのかも知れない。
もっと突き放していれば、自分達で切り開こうとして、
少しでもタイのいいところを見ようとする姿勢が生れたかも知れないと、
今は思うばかりだ。
二度三度と来るうちに、少しづつタイ文化を受け入れられるのかなぁと期待している。
でも、姉夫婦が来てくれたお陰で母は大いに喜んでいた。
今は嵐が去った後のように、静かな生活に戻っている。
今回のことで、日本人の特性というものをいやというほど再認識させられた感がする。
それはタイにロングステイしている者でしか感じられない貴重な体験だったと思っている。
私はタイにどっぷり浸かっている。